NZCAの日々つれづれ CAへの道のり いよいよ移住?
永住権申請の用意が整い、いよいよ移住に向けての準備を‥‥と考えていた矢先、赤ちゃんができた私達。
ここで人生の選択を迫られます。そうです、海外移住は一大イベント。
{タカプナビーチを歩く娘達}
赤ちゃんが生まれるのに、海外移住なんて? 延期すべき?
でもせっかくジョブオファーをいただいたのに‥。
この機会を逃すと、次はいつ⁈(◎_◎;)
でも‥初めての妊娠、出産で不安かも‥。
どうましょう〜?ヽ( ̄д ̄;)ノ
移住の引越しに、赤ちゃん、または、幼児連れとなる3人での移動か、それとも、たとえ妊婦で、引越しの足手まといであったとしても、2人での移動かを考えた時。
ー少々不自由ではあるけれど、今の方が身軽?に移動できる?
もしこのまま日本で赤ちゃんを産んでしまったら、何年先なら容易に移住できるのか。
ー結婚して7年間、子供ができず、その間はDINKS(ダブルインカム ノーキッズ)だったので、今なら資金が豊富にあるが、このまま日本で出産したら、私が働けない分も資金が目減りする?何年先になるかはわからず、その間も年齢が上がるごとに永住権取得用のポイントが減る?
ここでまた一つ、永住権のポイントに関しての補足説明ですが、30歳以下での移住なら、申請時の年齢ポイントが満点(2016年11月時点で30ポイント)であることに対し、それ以降は、10歳申請年齢が上がるごとに5ポイントづつ減っていきます。このポイントが減っていけばいくほど、永住権取得が難しくなるのです。
記憶があやふやですが、その当時(もう16年も前のことです)年齢ポイントが5歳区切りで、翌年の申請になると、またポイントが減る瀬戸際だったような気がします。(永住権申請の要項や条件はよく変更されますので、ご注意を)
夫とふたりで、色々と思いを巡らせて、たどり着いた答えは。
GOサインでした。
私はその時、自分でもよくわからないのですが、なんだか大丈夫なような気がしていました。全く根拠はなかったのですけどね。
そして本当に、様々な方に助けていただき、あれよあれよという間に、引越しの日が近づきました。
今から思えば、少々無謀だったかも‥‥という気もします。でもその時の決断がなければ、今のキャビンアテンダントになっている自分はいませんでした。
次回は引越ししてからの、ニュージーランドでの最初のスタートに関して、お話したいと思います。
NZCAの日々つれづれ CAになるまでの道のり 解説してみました
前回まで、ちょっと『引き寄せの法則』を織り込み、寄り道っぽくなってしまったので、ここで軌道修正し、私がキャビンアテンダントになるまでの時間軸を見てみましょう。
下記に箇条書きにしてみました。
ー短大在学中、航空会社を受けるも失敗。
ー短大卒業後、旅行会社(航空券のホールセール)に就職。
ーキャビンアテンダントになる決心をして、スチュワーデス予備校に通う。
ー前就職先の方からの紹介で、機内通訳の職に就く。
ー機内通訳が廃止となり、日本人クルー枠を受験するも、身体検査にて不合格となる。
ー日本で外資系企業の受付として働く。
ー永住権申請、取得、移住。
ー長女誕生。
ー念願のキャビンアテンダントになる。
オークランドハーバーブリッジ
機内通訳廃止になるくだりまでは、詳細をお話させていただきましたね。
今回は日本で外資系企業の受付として働いていた時のお話です。
関係ないんじゃね?と思われるかもしれませんが、これがどうして、繋がっているんですよ〜。
私が働いていた外資系企業は、東京の虎ノ門という立地の良い場所にありました。ここは様々な一流企業が同じフロアに入っているオフィスで、受付(レセプショニスト)という職種だったのですが、日本企業によくある受付嬢の仕事とは少し異なり、PABXという電話システムを使って、外線をそれぞれのオフィスにつないだりするオペレーターの仕事も兼任していました。海外の企業の方がクライアントとして入居されていたので、英会話力が必要な職場で、機内通訳として働かなくなってしまったその当時、日本語にどっぷり浸かりきりとならず、私にとって、非常にありがたい職場でした。
こうして日本で働いている間も、ニュージーランドへの移住を考え、いろいろな情報を収集し、機会をうかがっていました。
その職場で、私は運命的な出会い(今の夫ではありません。その時点では既に結婚してました)をします。
新しく入居されたクライアントさんが、ニュージーランドからの方だったのです。
最初はその方々がニュージーランドに所縁のある方々とは全く知らず、仕事をしていました。
ある日、ニュージーランドからいらっしゃったとわかり、思いがけず、所縁の地の方々との会話の中に、私の前職の話や、私の夢の話をする機会があったわけなのです。
もちろん移住に関して、最初からその方達を頼りにしようと考えていたわけではなく、『こんな風になったらいいなぁ』的な感じで、その方々とお話をしていたのですが、ある日、先方より「移住をお手伝いするよ」という申し出があったのです。
そんなつもりも毛頭なかったのですが、ちょうど夫がしていた仕事も、その方々がされている仕事と共通する部分がいくつかあり、夫にジョブオファーをいただけることとなったのです。
ここでひとつ、説明を加えなければいけないのですが、ニュージーランド永住権申請はポイント制となっていて、申請資格として4年制大学を卒業していることが条件となっています。短大卒業の私には申請の資格がありませんでした。
そこで夫がメインとなり、永住権を申請する必要があったのですが、如何せん、夫にはニュージーランドの職のつながりが何一つなく、もう一つの必須アイテム、『ジョブオファー』がどうしても必要だったのです。
こうして、私たちは永住権を申請する準備が整いました。
さて、いよいよ移住に向けての準備を‥‥と考えていた矢先、なんと妊娠!していることが発覚します。
では、この続きはまた次回に。
NZCAの日々つれづれ CAになるまでの道のり 『引き寄せの法則』に基づく?
私がキャビンアテンダントになれたのは、もちろん自分自身で努力をした結果でもありますが、それと同時に『引き寄せの法則』がうまく働いたおかげでした。
もちろんその当時、『引き寄せの法則』なんて、全く知らなかったのですが。
ちょっとここで、その『引き寄せの法則』について、軽くおさらいしましょう。
{オークランド空港、到着ゲートから入管に向かう通路より}
うさんくさい?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。
ただ、私は、誰もが一度ぐらいは経験したことがあると思っています。
例えば、ある時ふと『ゴディバのチョコレートが食べたいなぁ』と思ったとします。ゴディバのチョコレートは高級で、自分への特別のご褒美的な時しか買わないでしょうし、また、スーパーやコンビニなどで購入できるものでもなく、売り場も限られています。すぐには入手はできないし‥‥ならば『しかたない、代わりに別のものにしようっと』と代替品でとりあえず自分を満足させちゃう?的な行動を取ったら‥‥オフィスにお得意様からの手土産としてゴディバのチョコレートが届いていた、または、自宅に戻ったら、頂き物としてゴディバのチョコレートがあった‥‥なんていう経験、ありませんか? そして『しまった、さっき別のスイーツを食べちゃったよ‥こうなるとわかっていたら、食べなかったのに〜』という経験、ありますよね〜。
これは一例としてあげているだけですが、何かを成し遂げようとした時、偶然にも、手助けをしてくれる人が現れて、とてもスムーズに事が運んだとか、ふと、久しぶりに会いたいなぁと考えていたら、偶然、その会いたい人に会えたとか。
こんなふうに『引き寄せの法則』は日常茶飯事、常に働いているのです。
ただ、なかなかそれに気づけず、自らが『引き寄せた』ものもスルーしてしまっていることが多いのです。
そして『引き寄せの法則』は、良いことだけを『引き寄せる』のではありません。
人間の潜在意識が『引き寄せの法則』の鍵になっているのですが、『こうなると嫌だな』と思ったことも『引き寄せる』のです。
『マーフィーの法則』がこれに近いでしょうか。
では次回、私がキャビンアテンダントになった成功事例にそって、詳しく解説しますね。
NZCAの日々つれづれ CAになるまでの道のり 思えば長い道のり?
機内通訳としての役割を解雇され、実際にキャビンアテンダントとなって働くまでに、実に8年ほどの期間がありました。
その8年の間、日本で外資系企業の受付として働いた期間が4年ほど、その後、移住して4年(その間に子供も生まれています)経ったのち、ようやく念願のキャビンアテンダントになることができたのです。
{ニュージーランド航空 75周年記念展示より}
今から思えば、随分長い期間、よくも諦めずに頑張ったなぁと思うのですが、その当時は、そんな感じは全くありませんでした。
このキャビンアテンダントの合格通知をいただいた時、私は既に37歳でした。
ありがたいことに、ニュージーランド航空では、応募時の条件として年齢制限がありません。Fit to fly(乗務するのに適した体力を有すること)であれば、挑戦することができるのです。
実際、私と同じ時期にトレーニングを受けた方で47歳の方がいらっしゃいました。
トレーニングはサービストレーニングと、SEP(Safety Emergency Procedure)と呼ばれる緊急時の安全に関するトレーニングがあり、このSEPに合格できない場合は、その場で採用に関しても不合格となってしまう為、皆、必死で勉強をします。
しかもこのSEPトレーニングの最後に行われる試験は、90点以上でないと不合格になってしまうという厳しいものなのです。
この47歳の方はよく冗談(半分本気?)で『年のせいでマニュアルが覚えられない〜、どうしよう〜』とおっしゃっていらっしゃいました。もちろん無事、トレーニングを終えて、キャビンアテンダントになられましたが、私はその47歳という年齢で採用されたという事実にびっくりしたということを、今でもよく覚えています。
本当に年齢制限がないんだ〜‥‥と思いました。
30歳を超えてしまうと、一気に応募もできなくなってしまう日本の採用条件とは違ったのです。
長い道のりでしたが、本当に諦めずに挑戦して良かったと思います。
そしてしつこいようですが『引き寄せの法則』がうまく働いたおかげでした。
なぜ『引き寄せの法則』がうまく働いたと言えるか?
詳細をまた次回お話しますね。
NZCAの日々つれづれ CAになるまでの道のり 海外へ移住?
日本を離れ、海外へ移住する。
どんなイメージをお持ちでしょう。
素晴らしい夢?
勇気ある決断?
それは無理?
どこに住む?
資金や働き口は?
不安じゃない?
こういう考えをお持ちになるのは当然だと思います。
{対岸からオークランドCBDを臨む}
その当時の私も、会社からの機内通訳を廃止にする決定を受け、ニュージーランド航空のキャビンアテンダントになる試験を受けた時、正直、『日本を離れるのは嫌だな‥‥ニュージーランドで暮らすのは無理かも‥‥』と思っていました。
ここで私は、知らず知らずのうちに、自分の夢にブレーキをかけてしまったのです。
結果、私は半ば言いがかりのような身体検査で、合格取り消しということになってしまいました。
以前のブログで『引き寄せの法則』をご紹介させていただきましたが、自分の願った夢や目標は、チャンスがあっても、受け取る準備ができていないと、叶えることができません。
今ならわかるのですが、その当時『キャビンアテンダントに採用されるなら大丈夫、なんとかなる』と気持ちを切り替えて、移住に関しても前向きに考えていたら、おそらく、身体検査も問題なく通過していたと思うのです。
ただこれは、『自らの願い』を引き寄せた『引き寄せの法則』が働いた例でもあります。私はその当時、ニュージーランドへの移住を希望してはいなかったのですから。
いずれにしても、その時のチャンスを逃してしまった私でしたが、キャビンアテンダントになりたい、という夢は諦めていませんでした。
その当時、すでに結婚していた私は、夫と相談をして、このキャビンアテンダントになる試験を受けたわけですが、夫は私よりもニュージーランドに移住することに熱心で、先々、移住に関しての色々な情報を入手し、ついには、永住権申請に欠かせないジョブオファーまで獲得して、見事、永住権を取得することとなります。
その時の詳細に関しては、またいずれお話させていただきますね。
今現在の移住に関しての情報はこちらからも確認していただけます。
http://nzdaisuki.com/migrant/skilled-migrant
永住権を取得した後、私はキャビンアテンダントに再びチャレンジしたのでした。
NZCAの日々つれづれ CAになるまでの道のり その4
会社都合により、機内通訳を辞めざるを得なくなってしまった私。
機内通訳廃止と同時に、日本便の乗客に対応するために、ニュージーランドに在住する日本人を日本人クルーとして採用することとなったのです。
日本ベースだった機内通訳は、ニュージーランド航空の機内で働くために、特別なワークビザを発行していただいていたのですが、日本人クルー採用に切り替えた後は、現地在住、つまり永住権を取得済みの方々のみの採用となったわけです。
これはなんとかしたいと、当初、日本人クルー(キャビンアテンダント)としての採用枠があったので、応募し、合格はしたものの、身長が低い(その当時160cm弱)との身体的理由で、合格取り消しという憂き目にあってしまったのです。
一度不合格になってしまうと、その後一年は、応募できない規則になっています。
この時点では、泣く泣く機内で働く職を諦めるしかありませんでした。
{コーンウォールパークでのお花見}
それでも、やはりキャビンアテンダント、機内で働く仕事に就く夢を諦めきれず、日本で応募できる航空会社にはチャレンジしたものの、ご縁がなく、年齢が上がるとともに、応募できる航空会社も限られてきて、諦めるしかないかとも思ったこともありました。
30歳を超えてしまうと、日本で応募できる航空会社は一気に減ってしまいます。
日本以外の国でなら、応募時の年齢制限がない国もあります。例えばここ、ニュージーランドもそうなのです。
ただ、それに応募するには、その国の規則に従った働くことができる条件(永住権やワークビザ等)が必要です。
永住権を取得し、その地で働くということは、その国へ移住するということになります。
住み慣れた日本を離れ、海外で住む。とても大きな決断ですね。
その時の私には、その海外で住むという大きな決断を応援し、協力してくれた人がいました。
それは私の夫です。
次回は少し移住のことに関してもお話ししますね。
NZCAの日々つれづれ CAになるまでの道のり その3
前回のブログでは、機内通訳として採用をされた際の詳細について、お話させていただきました。
もう採用されたという成功のお話だったから、これでおしまいなんじゃ‥‥と思われた方。
すでにお気づきかどうかはわかりませんが、まだこの時点では [機内通訳] として採用されたのであり、[キャビンアテンダント] となっているわけではありません。
つまり、私がキャビンアテンダント(客室乗務員)として働き始めるまでの道のりがまだあるわけなのです。
ここで(機内通訳)と(キャビンアテンダント)の違いを説明させていただきますね。
機内通訳もキャビンアテンダントも、制服を着て機内で働いているから、同じなんでしょう?とお考えの方が多いのですが、それがどうしてどうして、役割が違うのです。
以前のブログでも書きましたが、キャビンアテンダントは基本的に保安要員です。緊急時の訓練を受け、試験に合格しないと、採用されたとしても、キャビンアテンダントとしては働くことができません。
一方、機内通訳はサービス要員なのです。緊急時の訓練を基本的には受ける必要がなく、採用されれば、機内通訳として働くことができます。試験に合格する訓練ではなく、一通りの座学での講習を受け、緊急時に日本語の機内アナウンスをすることだけが必要となります。
機内通訳は、その国の言葉(英語だけとは限りません)使ってのコミュニケーションが取れない乗客の方々のために、お客様と本国乗務員との間にたっての通訳、日本語での機内アナウンス、入国書類のお手伝いや、機内サービスの説明などが主なお仕事になります。
その航空会社にもよりますが、機内通訳とキャビンアテンダントの役割をきちんと分けているところでは、水一杯をお客様にお持ちするのに、機内通訳にお客様がお願いしても、機内通訳がお客様に直接持っていくのではなく、本国乗務員に機内通訳が頼み、本国乗務員がお水をお客様に持っていく、なんていう少々複雑な段階を踏んでのサービスになります。
役割が違うことを示すため、機内通訳とキャビンアテンダントの制服を変えている航空会社もあります。
私が入社したニュージーランド航空は、その線引きが大変ゆるく、最初こそ制服も本国乗務員の方々とは違いましたが、サービスを手伝ってくれるなら大歓迎!という環境だったので、ミールサービスや免税販売等の機内サービスにも携わりました。
そのうち、制服も本国乗務員の方と同じになり、機内全体(ファーストクラスからエコノミークラスまで)で働いていたので、乗客の方々には、キャビンアテンダントとしてみていただいていたと思いますし、自分も機内通訳とキャビンアテンダントとの違いという意識はなく、とても楽しく仕事をさせていただいていました。
機内通訳として5年ほど働いたのですが、会社の事情により、機内通訳が廃止されることとなり、ニュージーランド航空を辞めなくてはいけなくなってしまったのです。
この続きは、また次回に。